日々空回りし続けると言うこと全て
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ちょいとこのところ、自分でも「無理してんな」と思うこと然りで。
昨夜はマイリクしておきながらの剛クシャ5連乙とか。
「勝敗は兵家の常」とか人には言い宥めながらも、やはり仲間のチケが絡んでくるような剛種クエ相手には、ちょいとフンドシ締め直さねばねと思った次第。
例えばコレがソロでもあれば、「またチケ獲りに行けばいいさ」と思うのであろうが。
それを仲間にまで強要するほど自分は自惚れてはいないつもり。
それで言うと、次回の剛種ナナは楽しみで仕方がない。
行くかどうかは別として。
ただ、立ち回りのヘボさ加減はいつもの事ながら、「アカム着たくないわ」とか「乱舞ばっかしたくないわ」とか言うてはいられない場面も事実なわけで。
かと言って、このところの自分はそんな自分なりの変な拘りなりをどうしたものかと言わんばかしな上っ面も多々で。
「剛クシャあるうちに」とか「ラファ強化マゾくなるうちに」とか、「プレミア期間中に」とか「入魂祭中に」とか、今までのノラリクラリと何処吹く風としていた自分にしてみれば、やはり何と言うか「無理してんな自分」と。
生き急いだところで「自分には何が有るよ?」と。
狩場に終わりは無いのだからこそ、行きつく先を求めて疾走するなど自分には似合わない。
「人は人、自分は自分」と幼き頃から口を酸っぱくミミタコ程も言われて育った自分にとって、今まで通りに周りの流れに身を任せつつも、のんべんだらりんと狩りを続け、大好きな大剣を研いでる日々が一番自分らしいのかなと。
時既に爺ぃの境地に辿り着きしか疑われてもいた仕方なしと思えども。
考えれば考えるほど、見よう見ようと目を凝らすほど、答えと言うものは見えなくなるものと、柳生石舟斎も言うてた事がアタカモしんない。
何も考えないのも大事。
目を閉じて、足を止めてみるのも大事。
そして仲間のチケットよりも、仲間自身が大事大事。
PR
TWEET
BOOKMARK